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原始(旧石器、縄文、弥生)

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原始

旧石器時代

 旧石器時代の遺跡は、県内では大宮台地、武蔵野台地を中心に数多く見つかっており、伊奈町域にも遺跡が残されています。伊奈町域の北東部に位置する向原遺跡からは、約2万5000年前の石器群が見つかっています。この石器群は大宮台地の中でも古い時期のグループに属する石器群と考えられています。伊奈氏屋敷跡や戸崎前遺跡からはナイフ形石器、角錐状石器などが、久保山遺跡からは小形のナイフ形石器が多く出土しています。大山遺跡からは小型で、形が入念に整えられたナイフ形石器や尖頭器が出土していますが、ナイフ形石器をもつグループの中で最終段階のものと推定されます。原遺跡からは長さ2cmの程の細石刃や細石核が出土しており、大宮台地でも検出例の少ない資料です。
 このように旧石器時代の遺跡から石器以外の資料が見つかることは非常に稀であり、当時の人々の暮らしの様子を知る手掛かりは非常に少ないと言えます。しかし、これらの石器は、紛れもなく人々がこの地域に生活していたことを示しています。

縄文時代

 縄文時代は草創期・早期・前期・中期・後期・晩期の6つに区分されます。伊奈町では早期後半以降の遺跡が綾瀬川や原市沼川によって開析された台地の縁辺部を中心に見つかっています。戸崎前遺跡から出土した撚糸文土器・条痕文土器や炉穴から、縄文時代早期の人々の居住が認められますが、前期・中期のような集中した土地利用は見られず、安定した集落遺跡も見つかっていません。
 前期になると、温暖化に伴い海水面が上昇し、綾瀬川流域で貝塚が形成されるようになります。伊奈町では関山式期の大針貝塚、諸磯式期と推定される小貝戸貝塚(県指定史跡)があります。大針貝塚では、住居内の窪みに貝殻が堆積する小規模の貝塚、いわゆる住居内貝塚が見つかっています。
 中期になると、大きなムラが形成され、町域においても盛んに営まれるようになります。中期の遺跡としては、原遺跡・北遺跡・大山遺跡・志久遺跡・小室天神前遺跡などが挙げられます。特に原遺跡・北遺跡は中期の住居跡が数多く見つかっている大規模な集落遺跡であり、小さな谷を挟んで対峙しています。
 後期になると、町域における遺跡の数は大幅に減少します。戸崎前遺跡や向原遺跡など後期の遺物が見つかっている遺跡はありますが、中期のような大きなムラがつくられることは稀でした。しかし、本上遺跡のような長い期間何世代もの人々が同じ場所に居住し続けた結果つくられた「環状盛土遺構」を持つ集落遺跡も存在します。
 晩期の遺跡としては、後期から続く本上遺跡のほか、伊奈氏屋敷跡や大山遺跡、向原遺跡などで土器片などが見つかっています。

弥生時代

 伊奈町域では、弥生時代遺跡の発掘調査は現在まで行われていません。そのため、縄文時代晩期に属するいくつかの遺跡の調査例のあと、古墳時代初頭の小室天神前遺跡、向原遺跡までは空白の状態です。

お問い合わせ

伊奈町役場生涯学習課文化財・町史係

電話: 048-721-2111(内線2543,2546)

ファクス: 048-721-4851

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