埼玉県指定記念物(史跡)「伊奈氏屋敷跡」について
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概 要
関東郡代伊奈氏の祖、伊奈熊蔵忠次の陣屋跡です。伊奈氏は信州伊那(長野県)の出身で、忠次の祖父忠基の代に徳川氏に仕え、三河国小島(愛知県西尾市)の城主となりました。三河一向一揆に加担したため、徳川家を一時離れますが、本能寺の変を機に忠次は家康に仕え、近習(きんじゅう)として農政・民政に力を発揮し、五ヵ国総検地などを通して代官としての頭角を現しました。
天正18年(1590)家康の関東入国に従い、武蔵国足立郡小室・鴻巣領1万3千石(1万石ともいわれます)を拝領した忠次は、沼を控え要害の地にある小室の閼伽井坊屋敷を接収し、陣屋としました。忠次は、ここを拠点に治水・利水工事と新田開発、検地の実施、中山道その他街道宿駅の整備などに力を発揮するなど、徳川家の関東支配、江戸幕府創立の基盤づくりに大きく貢献しました。
忠次の死後、3代忠勝が幼くして亡くなったため、領地は没収されてしまいますが、忠勝の弟忠隆が旗本として取り立てられ、陣屋そのままに小室郷8か村が与えられました。その後、陣屋機能は次第に江戸屋敷に移り、わずかな家臣の屋敷と御林(おはやし)のみ残りましたが、明治維新とともに陣屋は払い下げられ、民有地となりました。
昭和9年3月31日に陣屋跡は重要な文化財「伊奈氏屋敷跡」として県の史跡に指定されました。屋敷跡(陣屋跡)には、当時を偲ばせる土塁や堀、道路などが現存しているとともに、「表門」「裏門」「蔵屋敷」「陣屋」などの名称が残っています。
縄張り図
縄張図とは…
城郭研究において、現存する城跡の構造を確認し、その防御上の意味 を解釈しつつ、詳細に描いた図のこと。
縄張りとは…
中・近世城郭の場合における、全体の平面計画・平面形態のこと。
縄張りを構成する要素は曲輪(くるわ)・堀・土塁・石垣・櫓(やぐら) 台・虎口(こぐち)・道・武者隠しなどの付属施設からなり,それらの組合 せにより、城の個性が決まる。(『世界大百科辞典』より)
年表
年号 | 年 | 月・日 | 出来事 |
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弘治 | 3(1557) | 4.8 | 太田資正、赤井坊の寺領を安堵する |
永禄 | 6(1563) | 6.18 | 太田資正、小室の赤井坊沼を埋めることを禁止する |
9(1566) | 11.18 | 太田氏資、小室閼伽井坊の寺内・門前ともに不入権を従前どおり認める | |
11.28 | 太田氏資、小室の閼伽井坊寺領を論田ともに安堵する | ||
10(1567)カ | 10.17 | 北条氏政、閼伽井坊に虎朱印状を送り(禁制)、小室郷立野を定め、竹木の伐採を禁止する | |
元亀 | 3(1572) | 閏正.5 | 北条氏政、閼伽井坊に虎朱印状を送り、江戸御娘人祈念の功により寺内の棟別銭を免除する |
天正 | 2(1574) | 9.10 | 北条氏政、小室閼伽井坊に虎朱印状を送り、内田新二郎との訴訟を裁定し、同坊寺領を安堵する |
8(1580) | 3.15 | 北条氏政、閼伽井坊に虎朱印状を送り、出井ヶ嶋の荒野開発を指示する | |
18(1590) | 8.1 | 徳川家康、江戸城に入る | |
この年 | 伊奈忠次、武州小室・鴻巣で1万3千石(1万石とも)を与えられる | ||
19(1591) | 6.6 | 伊奈忠次、無量寺閼伽井坊を倉田明星院へ移し、閼伽井坊屋敷へ入る 同坊には堪忍分として、畠3町のほか小針宮山・春日立野を与え、門前ともに不入とする |
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慶長 | 15(1610) | 6.13 | 伊奈忠次死去、勝願寺(鴻巣市)に葬られ、遺領は嫡子筑後守忠政が継承する |
元和 | 4(1618) | 3.10 | 伊奈忠政死去、勝願寺に葬られ、嫡子忠勝が遺領を継ぐ |
5(1619) | 8.16 | 伊奈忠勝9歳で死去、1万3千石を収公され小室願成寺に葬られる 幕府、伊奈家の廃絶を惜しみ、忠勝の弟忠隆に陣屋そのまま小室郷8か村で1,180石余を賜い、小普請に組み入れる(旗本伊奈熊蔵家の成立) |
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万治 | 2(1659) | この頃 | 小室陣屋内の浅間神社東脇の宅地を上地して畑地として開発(鞍骨新田)、伊奈氏の家臣の次3男が百姓身分として開発にあたる |
3(1660) | この年 | 浅間往来東副居の小室郷知行取扱地代官鈴木八郎右衛門、江戸屋敷詰となる(以後、内村家が地代官を勤める) | |
寛文 | 3(1663) | この年 | 牧野茂左衛門、明徳寺(別所村)開基し、この年まで陣屋内に居住する、のち江戸屋敷詰となる |
元禄 | 7(1694) | 正.27 | 伊奈忠之(忠隆子、丸山村陣屋住)死去、願成寺に葬られる |
享保 | 18(1733) | この年 | 小室陣屋の大橋・蔵屋敷・裏門前の橋を石橋に架け替える |
明和 | 9(1772) | 4.15 | 伊奈家某(名結城)が丸山陣屋において死去、願成寺に葬られる |
天明 | 4(1784) | 7.18 | 伊奈家某(名織江)が丸山陣屋において死去、願成寺に葬られる |
嘉永 | 2(1849) | 4 | 小室陣屋の測量が行われる |
3(1850) | 2.19 | 小室郷8か村の負担で小室陣屋の囲堀浚いが行われる | |
3 | 小室陣屋内部の図が作成される | ||
この年 | 小室陣屋内外の掃除が長右衛門、表・裏の門番が次右衛門・七郎右衛門の請負となる | ||
文久 | 3(1863) | 3 | 丸山・宿・別所・小貝戸村の負担により、小室陣屋の修覆工事が行われる |
明治 | 3(1870) | 4 | 伊奈氏屋敷跡に開墾願が出され、民間に払い下げられる |
見学のご案内
伊奈町は首都中心部からおよそ40km圏内に位置する町で、県指定史跡「伊奈氏屋敷跡」は、埼玉新都市交通伊奈線(ニューシャトル)の伊奈町1つ目の駅である、丸山駅のすぐ近くに広がる史跡です。
首都圏に近い史跡としては珍しく、土塁や堀といった遺構や史跡の中を貫く道路などが良好な状態で保存されており、当時の面影を今でも感じることができます。また、史跡内やその周辺には、『埼玉県レッドデータブック2011』で準絶滅危惧に指定されているウラシマソウや県の蝶であるミドリシジミの幼虫の餌となるハンノキが自生しているなど、自然が多く残されているのも特徴です。
平成28・29年度には地域の皆様のご協力の元、史跡内の一部の町道や私有地にウッドチップを敷き、散策路として整備しました。また、見学される方の利便性向上のため、散策ルートに誘導板を設置しました。
下記に「伊奈氏屋敷跡散策路マップ」(PDF)を掲載しましたので、ご用意していただき、ぜひお出かけください。
パンフレット
伊奈氏屋敷跡散策路マップ
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アクセス
埼玉新都市交通伊奈線(ニューシャトル)丸山駅改札口を出て、右に向かいます。
埼玉新都市交通丸山車両基地を右手に100mほど直進後、写真の箇所を右折します。
右折後、しばらく直進してください。
直進後、左側に「埼玉県指定史跡 伊奈氏屋敷跡」と表記された白色の看板が見えます。こちらが伊奈氏屋敷跡の入口(出口)となります。
お問い合わせ
伊奈町役場生涯学習課文化財・町史係
電話: 048-721-2111(内線2543,2546)
ファクス: 048-721-4851
電話番号のかけ間違いにご注意ください!