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国登録有形文化財(建造物) 齋藤家住宅主屋

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  • ID:5123
齋藤家主屋外観

【ふりがな】さいとうけじゅうたくしゅおく
【名  称】齋藤家住宅主屋
【所 有 者】個人所有
【所 在 地】小針新227番地
【概  要】
 木造平屋建、茅葺(金属板仮葺)。
 齋藤家住宅主屋は旧往還西側の短冊状の敷地に東面して建つ平屋建の古民家です。建設年代は部材の手斧(チョウナ)仕上げ痕や和釘の使用などから江戸時代末期に建てられたと推定されます。南面を除く三面に下屋の縁を廻らし、内部は南側が土間で床上部を六間取りとしています。表列上手には「オクノマ」と呼ばれていた主座敷があり、床などを備え、長押を廻らしています。他の部屋では差鴨居などで柱を固めています。

和室のようす

齋藤家主屋座敷

座敷(南東方向から撮影したもの)

齋藤家主屋オクノマ

                                                  オクノマの床棚と平書院

小針新宿村の歴史

 齋藤家住宅主屋が所在する小針新宿は、古くは小針内宿と一体で伊奈庄小針村と呼ばれ、岩槻太田氏の支配下にありました(『新編武蔵風土記稿』より)。江戸時代の寛文年間の検地(1661年〜1672年)の後、分村して小針新宿村となりました。
 『郡村誌』によると徳川家が武蔵国に入国したときは岩槻藩領でしたが、元和5年(1619年)幕府直轄地となり、寛永16年(1639年)忍藩領、分村後の元禄11年(1698年)旗本荒川佐渡守の知行地となり世襲して明治に至ります。
 村高は、『元禄郷帳』に533石6斗2升9合、『天保郷帳』に534石7斗6升2合、慶応元年(1865年)の「皆済目録」(齋藤家文書)に534石7斗6升2合、反別は89町6反7畝25歩(田方28町9反6畝29歩、畑方60町7反26歩)と記録されています。なお、明治初期の村戸数は102戸で、人口は516人でした(『郡村誌』より)。

 旗本荒川氏は、当村知行の初めは、佐渡守重好が足立郡にて一千石を賜わりました。『元禄郷帳』によれば足立郡内に指扇領原村、上平塚村、中平塚村、嶋根村を合わせて総高1063石余は、明治に至るまで世襲されました。

 明治元年(1868年)、維新により武蔵知県事の管轄となり、同2年大宮県、同4年埼玉県の所管となりました。明治17年(1884年)5月連合戸長役場制では、当村のほか、小針内宿村、羽貫村、大針村の4か村で羽貫村連合戸長役場を構成した。明治22年(1889年)、郡市町村制で前記4か村は小針村となりました。昭和18年(1943年)小室村と合併して伊奈村となり、同45年(1970年)の町制施行により伊奈町となり、今日に至ります。

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伊奈町役場生涯学習課文化財・町史係

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ファクス: 048-721-4851

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